なでしこ新監督高倉麻子が「女ラモス」と呼ばれていた頃

小学4年生でサッカーを始めて中学3年生で日本代表入り
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’82年の第3回全日本女子サッカー選手権に中学生選手として出場して注目を集めた
「選手時代から一番前を歩くのが、私の役割だと思っていました」
 3月の最終予選で惨敗し、リオ五輪出場を逃したサッカー日本女子代表「なでしこジャパン」。9年間にわたってチームを率いた佐々木則夫氏(57)に代わり、4月27日、高倉麻子氏(48)が新監督に就任し、会見で抱負を語った。
「’90年代の中心選手として、澤穂希(37)以前の日本女子サッカー界を牽引してきたレジェンドです。満を持しての抜擢でしょう」(スポーツ紙サッカー担当記者)
 華やかな経歴だけでなく、その美貌でも知られ、有名写真家の立木義浩氏がポートレートを撮影するなどメディアへの露出も多かった。選手時代の趣味はドライブで愛車は、’74年型ビートルだったという。
福島の天才サッカー少女
「グラウンドでは男勝りなのに、試合が終われば女性らしい華やかさを演出する。そうすればファンも増えるんじゃないかと自分でも言っていましたね」(元サッカー日本女子代表監督・鈴木保氏)
 お酒も大好きで、カラオケでは「酒と泪と男と女」を歌う。さらにスポーツ番組のコメンテーターも務めていた。
「髪は茶色く脚もキレイで、初めて見たときは外国人かと思ったことを覚えています。いつもバイクで練習場に来ていましたが、テレビ番組に出る日は、練習が終わったらハイヤーが迎えに来て、移動中にJリーグの試合をチェックして、スタジオで滑らかに喋る。みんなが憧れた女子サッカー界の顔でした」(読売ベレーザでチームメイトだったサッカー解説者・大竹七未氏)
 高倉新監督は福島県出身。小学4年生のときに地元のサッカーチームに入団した。ポジションはMF。もちろん紅一点だが、すぐにレギュラーとなり、天才サッカー少女として名を轟(とどろ)かせた。
「中学生になると、毎週末お父さんが福島から東京にあるチームの練習に連れてきていました。うまいコがいると当時から有名でしたね。中学3年生で日本代表に選ばれたときは、すでにチームの中でもボールコントロールやパスの精度などのテクニックはトップレベルでした」(元サッカー日本女子代表監督でサッカー解説者の鈴木良平氏)
 高校卒業後、強豪・読売ベレーザに入団し、’91年に開催された第1回女子サッカーW杯(中国)に「背番号10」をつけて出場。’95年の第2回大会ではキャプテンとして日本をベスト8に導いた。ついた愛称は、ラモス瑠偉にあやかって「女ラモス」だった。
「代表チームを引っ張る存在で、プレースタイルも似ていた。『女ラモス』というのはスゴい褒め言葉で、高倉さんも嫌がってはなかったですよ(笑)」(大竹氏)
 ’04年に現役引退後は指導者の道を歩んだ。’14年には女子U-17代表チーム監督として、U-17W杯で優勝を果たした。
「練習では厳しいが、宿舎では一発芸大会や川柳コンテストを開いてリラックスさせて、若い選手を上手くまとめた。選手の部屋に入って話し合えるのも、女性監督ならではです」(前出・記者)
 高倉ジャパンの初戦は6月2日のアメリカ戦。なでしこ再生はなるか。
PHOTO:日刊スポーツ/アフロ
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