新シリーズ 有名人たちのもう一つの顔「私、マニアです」第6回 プロレスラー 藤波辰爾

城オタク

「夢は自宅の城塞化です」
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「新人のときから、大好きなお城を見る機会がたくさんあったんです。試合会場の日本武道館は皇居、大阪城ホールは大阪城、愛知県体育館は名古屋城の近くにありましたからね。小田原城や会津若松城の大手門広場に特設リングを作って、試合をしたこともあります。実況をしていたアナウンサーの古舘伊知郎さんとよく天守閣にのぼり、『オレもいつかは天下をとってやる!』と闘志をかきたてていましたよ」
 プロレスラーの藤波辰爾(62)は、城マニアとして知られる。少年時代に通っていたのは、大分県の東国東(ひがしくにさき)郡武蔵町立(現、国東市立)武蔵中学。敷地は室町時代に建てられた豊後今市城の城址だ。
「城址といっても何も残っていませんでしたが、歴史の重みのようなものは感じていました。最初にお城に魅了されたのは、中学の修学旅行で大阪城に行ったとき。天守閣のデカさに圧倒されました。なかから見下ろす街の風景も壮快でしたね」
 以後50年近くにわたり、藤波は彦根城や白鷺が羽根を広げたように美しい姫路城など、城めぐりをしている。
「当初は天守閣の壮麗さに感動していましたが、だんだん石垣など周囲のモノにも興味を持つようになりました。江戸時代に入り一国一城制度がしかれると、各藩の石高や格によって石垣に違いが出るようになる。たとえば徳川将軍家の居城、江戸城の石垣には全国から集められた最良質の石が使われていたんです」
 藤波は、安土桃山時代から続く石垣職人とも親交がある。
「滋賀県に安土城の建設にも参加した穴太衆(あのうしゅう)という石垣職人がいるんですが、ボクが城好きと知って、昨年WWE(世界最大のプロレス団体)の名誉殿堂入りしたときに祝福の手紙をくれたんです。穴太衆は、いまも粟田建設という石積み会社として残っていて、社長はその末裔。15代目の石匠です。野面積(のづらづみ)という自然石を加工せず、そのまま積み上げる工法を用いています。4月の熊本地震では、ボクの故郷、大分も被災しました。熊本城も大被害を受けましたが、石垣は城主の加藤清正が招いた穴太衆が築いています。400年以上続く技術で、早く修復してほしいですね」
 自身の家も城塞化したいと考えている。
「木造のお城にしたいと、大阪城をモデルに図面を作り工務店に見積もりを出してもらったんです。金額は120億円……。ちょっと高すぎました(笑)。ただ、デザインを変えても、いつかは藤波城を建てたい。城主になるのがボクの夢です」
 石垣は穴太衆にお願いする予定だ。
PROFILE
ふじなみ・たつみ ’53年、大分県生まれ。アントニオ猪木に憧れ、’70年に日本プロレスに入門。’72年に猪木が旗揚げした新日本プロレスに参加。’99年には、坂口征二のあとを継ぎ同団体の社長に就任。得意技はドラゴン・スープレックス。183㎝105㎏
PHOTO:小松寛之
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