神戸山口組の「金庫番」池田組若頭はなぜ殺されたのか

標的がなぜ岡山の有力組織だったのか、
弘道会の暗殺集団「十仁会」が動いたのか――
全面抗争の引き金となる事件の真相に迫る!
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神戸山口組の幹部らが続々と葬儀場へ入っていった後、18時25分ごろ、井上邦雄組長が最後に到着した
「それ以上近づくな、オイ!」
 警察官の怒号が飛び交い、故人が好んだという演歌が大音量で流される岡山市内の葬場に、6月3日夕方6時半ごろ、黒塗りの車列が滑り込んできた。
 神戸山口組トップの井上邦雄組長が車から降り立つと、防弾用の鉄板が入ったカバンを手にした組員が一斉に取り囲み、葬場は緊迫した空気に包まれた。
 この日の通夜に訪れたのは、井上組長だけではない。入江禎副組長、奥浦清司顧問、寺岡修若頭、毛利善長本部長、織田絆誠若頭代行、池田幸治若中ら、神戸山口組の幹部が勢ぞろいで、さながら「組葬」の様相を呈していた――。
 5月31日、神戸山口組傘下池田組の高木昇若頭(55)が自宅マンションの駐車場で胸を数発撃ちぬかれ、死亡した。
「警察による締めつけが厳しくなり、多くの組がシノギを細らせているなか、池田組は巧みに資金を増やしてきた神戸山口組の『金庫番』。高木若頭はそのナンバー2です。岡山市内の歓楽街には、池田組が関連するビルが30以上あり、不動産屋や駐車場、警備会社やビジネスホテルの経営にまで関与しているのは、地元では有名な話です」(神戸山口組関係者)
出頭した男の正体
 神戸山口組が六代目山口組から離脱後、高木若頭は六代目傘下の組員に接触、豊富な資金力をバックに盛んに引き抜きを仕掛けていたと言われる。
「神戸山口組が六代目側組員に切り崩しをかけるときは、『うちには池田組長がいる』というのが殺し文句になっている。高木若頭は元々中野会の出身だが、池田孝志組長直々の誘いで移籍した。金儲けが抜群にウマく、他の組から何人も組員を引き抜くなど、かなりの力を持っていた」(前出の神戸山口組関係者)
 捜査は難航が予想されたが、6月5日になって六代目山口組の中核組織・弘道会の傘下団体組員が岡山県警に出頭。それにより、この事件が弘道会=六代目山口組と、神戸山口組の対立を背景に起きたものであることが明白になった。
 これまで、組事務所襲撃や暴行事件といった小競り合いは多発していたが、なぜ今回、射殺事件にまで至ったのか。
「六代目山口組傘下では、吉田総業、司興業、野内組、髙山組などがイケイケの抗争推進派。ある組長は、『(5月27日までの)サミット休戦が終わったら、タマ(命)を取りに行く』と公言していた。しかしそれを、司忍組長の意を受けた竹内照明弘道会会長が『動くな』と言って諫めていたんや。苛立ったその組長は一時、定例会に出なくなったほど。不満を溜めていた強硬派の組員が暴発したのかもしれん」(六代目山口組関係者)
 5日に出頭したのも強硬派の一つ、髙山組系の組員だった。
「弘道会にはかつて、盗聴や尾行、そして暗殺を行う専門部隊の『十仁会』という組織があった。これを20年以上前に組織したのは髙山組初代組長の髙山(清司)六代目山口組若頭で、いくつかの抗争事件に関わったと目されている」(前出・六代目山口組関係者)
 実際、今回の事件直前に不審な人物が池田組の周辺を調べ回っていたという。
 他にも気になる話がある。
「逮捕を怖れ、抗争に弱腰な六代目山口組の幹部連中に対し、獄中の髙山若頭が苛立っている。面会に来た六代目山口組関係者に、『しゃんとせえや』と言ったというのです」(髙山組関係者)
 司組長、竹内会長らは抗争の拡大を食い止めようと必死だが、組内の強硬派はフラストレーションを溜め込んでいるようだ。先に仕掛けられた神戸山口組も当然、報復を狙っている。すでにヒットマンが動き出したという情報もある。
 六代目山口組と神戸山口組の抗争は、「サミット休戦」を終え、ついに血の雨を降らす新たな段階に入った――。
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池田幸治若中(四代目真鍋組組長)は、ジャージ姿で駆けつけ、葬儀場で喪服に着替えた
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入江禎副組長(二代目宅見組組長)は、六代目山口組で長く総本部長を務め、内情を熟知
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織田絆誠若頭代行(四代目山健組副組長)は、16時23分ごろ、幹部らのなかで最初に葬儀場へ到着した
PHOTO:佐藤 伸
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