追悼 モハメド・アリが高見山と"場外乱闘"

A・猪木戦の4年前に初来日していたリングの巨人
追悼 モハメド・アリが高見山と
高見山(当時27歳)とおどけるアリ(当時30歳)。この異種格闘技との邂逅がのちの猪木戦につながった
 その偉大なボクサーの死は、世界中でトップニュースとして扱われた。モハメド・アリ。享年74。
 彼は世界一の拳とともに、自由、人権への高い意識を持つ人間だった。ボクサーでありながら、人種差別撤廃を訴えるマルコムXとともに活動。反戦を訴えベトナム戦争への徴兵を拒否し、イスラムとの融和を明言した。
「俺を自由の身にするか、さもなければ刑務所に入れろ。いずれにしても、俺は自分の主張を貫く」
 ’60年ローマ五輪で優勝して帰国したが、「黒人お断り」とレストランの入店を拒否されたという。怒りに震えたアリは、金メダルを川に捨てた。その年プロに転向、イスラム教徒であることを明言し、カシアス・クレイという本名から、モハメド・アリと名乗った。’64年には世界へビー級チャンピオンとなる。
 ’67年に徴兵拒否を罪に問われ世界ヘビー級王座を剝奪される。全盛期を過ぎたと見なされていたにもかかわらず、’74年には「キンシャサの奇跡」と呼ばれる試合で見事世界チャンピオンに返り咲いた。
 アリの来日といえば’76年のアントニオ猪木戦が有名だが、実はその4年前の’72年にボクサー、マック・フォスターとの対戦のために来日している。プロモーターとして彼を招聘(しょうへい)した康芳夫氏(79歳)は語る。
「アリはあのころの私のすべてでした。金メダルを取ったローマ五輪での神々しい姿に感動し、プロ転向後の予告KOパフォーマンスに魅了されましてね。イスラム教に入信してなんとかアリに接触することに成功し(笑)、日本に招致するために必死で金集めをしました。日本には相撲という格闘技があるということをアリに伝えたところ、ぜひ会ってみたいということで、お茶の間で人気の高見山に連絡を取ったんです。アリが滞在していたホテルオークラでキャスターの田英夫さんと待っていると、高見山が現れるなりいきなりアリを抱きかかえたもんだから、彼はビックリしましてね。そこからは英語でずいぶん楽しそうに話していましたよ」
 ファンに温かく迎えられ、高見山との場外パフォーマンスにも満足したアリは、後に猪木戦の公開スパーリングで、さらにエキサイトする姿を見せた。プロレス評論家の井上譲二氏(64歳)が振り返る。
「普段のアリは気さくで、どちらかと言えば物静かな人。彼の発言はたびたび物議をかもしていましたが、カメラの前で獰猛なファイターを〝演じて〟いることは、当時の記者たちはみんな理解していました」
「私は’77年ごろ、ニューヨークの路上で、偶然アリと遭遇したことがあります。彼はグリーンのシャツに綿パン、スニーカーというスマートなファッション。スーツ姿の5〜6人のボディーガードに囲まれていたということもあって、すごく華やかでハリウッドスターのようでしたね。当時日本では猪木との再戦の話が浮上していまして、私はたまらず『猪木ともう一回やるのかい』と声をかけたんです。無視されても仕方がないところですが、アリは気さくにひと言『Maybe(たぶんね)』と返してくれました」
 引退後、パーキンソン病と闘いながら、社会活動を積極的にこなし、’05年には、合衆国政府から民間人に対しては最高位となる「大統領自由勲章」を授与されたアリ。イスラム国との対話を願っていたというその偉大なる魂よ、永遠なれ。
追悼 モハメド・アリが高見山と
’76年6月18日外国人特派員クラブでの会見。「猪木はペリカン程度」とこきおろすパフォーマンスをするアリ。
PHOTO:AFLO 共同通信社
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