【短期集中連載】FRIDAYノンフィクション 高倉健が愛した女と男

第1回 健さんの遺産を一手に握る養女・貴の素顔と「不可解な養子縁組」
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’11年、遺作『あなたへ』の撮影で富山を訪れた際の高倉健。今年11月で三回忌を迎える
 小田剛一――。こう綴(つづ)る高倉健(享年83)の本名はいまや熱烈なファンならずとも、日本中の多くが知っている。ただし、その本当の読み方を知る関係者は意外に少ない。
 普通に読めばオダゴウイチだろう。古くから付き合いのある映画人や学生時代からの旧友なども、親しみを込め剛の一字をとって「ゴウちゃん」などと呼んだ。面倒だからか、当の本人も否定しなかった。が、血のつながりのある近親者は名前をそうは呼ばない。タケイチ――。
 2014年11月10日の死後、莫大な遺産の相続人としてとつぜん現れた養女は、小田姓を名乗るようになった。戸籍上の娘となった女性が小田貴(たか)(52)である。入籍の申請書類には、父娘それぞれの氏名や住所が記されている。
 だが、本名の剛一のふりがな欄に書かれていたのはタケイチではなく、ゴウイチだった。正式な入籍書類で、誰がそんな"間違い"を起こしたのか。親族たちは合点がいかず、今も首を捻っている。
 小田貴は、事実上の妻として高倉健と同居してきたという。生前、その存在が頑なに伏せられていたのは、これまで報じられてきた通りだ。彼女はその死を親戚にも知らせず、火葬場で密葬を取り仕切って不信を買う。高倉健の実妹をはじめ6人いる甥姪たち近親者でさえ、誰も彼女の氏素性を知らず、いまだ会ってもいないのである。それでいて’15年2月には追悼ムック『高倉健』(文藝春秋刊)の巻頭に実名で手記を寄せている。
 生涯収入100億円、8億円相当の不動産や30億円の金融資産など40億円以上といわれる遺産をすべて相続した彼女は以来、高倉健の著作権を管理する高倉プロモーションの社長におさまり、さまざまなイベントを仕掛けてきた。映画の所縁(ゆかり)の地を訪ねたり、遺品の刀剣を長野県坂城(さかき)町に寄贈してきたほか、今年11月からは東京ステーションギャラリーを皮切りに、全国の美術館を巡る高倉健の追悼特別展を企画している。
 その一方で彼女は表舞台に立たず、高倉健の没後すでに2年目を迎えてなお存在自体が謎めいている。今もって二人の出会いから暮らしぶり、遺言内容にいたるまで明らかになっていないのである。
 彼女には、貴倉(たかくら)良子という芸名で女優やテレビレポーター活動をしていた時期もあるが、その後、ホテルジャーナリストに転身した。高倉健と知り合ったのが、ホテルジャーナリスト時代の’90年代後半だ。彼女を引き合わせた人物については、たとえば北海道や都内の有名すし店の店主などの名前が囁(ささや)かれたが、これも実態は判然としない。自動車のエンジニアや理髪店主など、高倉健と四六時中行動をともにしていた通称チーム高倉のメンバーも、二人の出会いを知らない。
 そんな関係者の中で唯一、古くから彼女の存在を知っていたのが、高倉プロの元専務だ。日頃は九州にいるが、高倉健の従弟なので信頼され、映画関係の窓口を務めてきた。二人が付き合い始めて間もない’97年5月には、高倉健本人が彼女を元専務に紹介している。
 そしてそれから16年後の’13年5月、貴が高倉健の養女となる。その際、元専務と貴の実母が養子縁組の保証人となっている。今のところ高倉健と小田貴の関係を知っていたのは、それ以外に見当たらない。高倉健の実妹の森敏子が、従弟である元専務に対してこう悔しがった。
「兄の死後、養女だと初めて知らされて驚きましたし、(入籍の際の)保証人にはもっとたまげました。(元専務の)ミミズのような保証人の走り書きのサインを見てビックリ。『こげな大事(おおごと)をなんで私らに知らせんかったとね』て彼を問い詰めましたら、彼は『タケちゃんから、保証人になってくれて言われたけん』ていうとです。『俺は女房にも(養女のことを)言うとらん』て言うとやけど、ほんと悔しか。しかも『何も書かれてない白紙の申請用紙にそのままサインした』て。それで通るんですかね」

「いちばん質素なもので」
 養子縁組は高倉健が急逝する1年半前のこと。繰り返すまでもなくタケちゃんとは剛一の愛称で、元専務は単純に頼まれたからだと弁明する。が、ふつう保証人は当事者が様式を整えた後、署名するものだろう。高倉健の姪もこう訝(いぶか)る。
「伯父の性格からして、世話になった人にお金を残そうとしたのはわかります。でも、なぜ籍まで入れたとやろか。それにタケイチをゴウイチと間違えているのもおかしい。それを先方(貴側)に聞くと、住所などを書いている欄は、彼女が書いたというのです。書類には伯父が直筆で小田剛一と署名したように見えるサインもあるけど、なぜわざわざ彼女がそこだけ書いたのか、それも不思議です」
 小田家の菩提寺のある正覚寺に聞くと、高倉健は亡くなる直前まで祖先を思い、毎年盆前になると「小田剛一(たけいち)です。ご供養お願いします」と、供養料を送ってきていたという。まさか実の妹たちにも知らせず、いつの間にか本名を改称したのだろうか。それとも養女なのに読み方を知らなかったのだろうか。
 入籍の翌’14年に入ると、当人が体調を崩し、4月に悪性リンパ腫が発覚した。そして11月、慶応病院で急逝する。
 九州にいる近親者が、高倉健の異変を知ったのが、死の2日後だ。その間、養女たちは死を実の妹に隠したまま、遺体を密かに葬ろうとした。当然のごとく親族たちはそこに不信の念を抱いている。
 入院期間中、元専務は九州にいて、慶応病院の特別室には、養女の貴以外、高倉プロで経理事務と秘書を兼ねる新谷洋子(仮名)も入れなかったという。高倉健が息を引き取ったのが’14年11月10日午前3時49分。秘書の新谷が訃報の電話を受けたのはそれから10時間以上経過した午後2時半だ。前出の姪が明かした。
「あまりに時間がかかったので、新谷さんが不思議に思い、『なぜすぐに知らせてくれなかったのですか』と養女に尋ねたら、『何かあればいちばんに弁護士に相談するようにと、(高倉健から)指示されていたからよ』と言っていたらしい。それで、昏睡状態に陥ったとき鎌倉に住んでいる弁護士に連絡を取ったところ、病院に来るまでに時間がかかって(新谷に)知らせなかった、と」
 妙な言い訳だが、実際に弁護士が駆けつけ、内密に葬儀社を病院に呼んで遺体をどうするか、協議したようだ。一方、新谷は九州にいる高倉プロの元専務に連絡し、元専務も10日の夜になって慶応病院に到着した。
「そのときにはすでに葬儀の段取りがまとまっていたみたいです。ただ棺桶はどうするのか、という話になったとき彼女が『いちばん質素なものでいい』と言ったのでさすがに(元)専務が桐の上等なものにさせたという。新谷さんは、てっきり(元)専務が九州の親戚の人といっしょに上京してくるものだと思っていたらしい。でも、私たちはまったく知らされてなかった」(前出・姪)
 10日の夜までに貴たちは、12日の渋谷区代々幡(よよはた)斎場での密葬を手配し、そこに東宝社長の島谷能成(よししげ)、東映会長の岡田裕介、元警察庁長官の田中節夫、読売新聞最高顧問の老川(おいかわ)祥一、映画監督の降旗(ふるはた)康男の5人だけを呼ぶと決めた。そのあと慶応病院から遺体を自宅に運んだ。自宅で貴と高倉プロの元専務、新谷の3人で通夜をおこない、翌11日は貴が自宅で遺体と過ごし、12日に斎場で落ち合うことにしたという。実妹の敏子が明かした。
「12日は白内障の両目の手術をするため、病院にいました。そこへ東京にいる息子(高倉健の甥)から『伯父貴の様子が変なので、(元)専務に連絡してくれ』と連絡があったのです。(元専務を)やっとつかまえて、『お兄さんに何かあったんじゃない?』て問い詰めたら、『敏子ちゃん、誰から聞いたと? 実はタケちゃんが亡くなった』て。私の手術と火葬の時間が同じいうじゃないですか。頭に来てね、『とにかく東京の息子に火葬場に行かせるけん、連絡せんね(しなさい)』て言うたけど、そのままでした」

「バレたわ、バレたわっ」
 そのとき、敏子にはたまたま前出の姪が付き添っていたという。
「はじめは叔母や従弟、チーム高倉の人たちが会社(高倉プロ)に電話をかけていた。それが新谷さんの携帯電話に転送されていたけど、つながらなかった。でも、私はたまたま新谷さんの携帯番号を知っていたので、直接かけたのです」
 姪があとを引き取ってこう話した。折悪しく、新谷が世田谷の自宅で貴といっしょにいるときだ。姪が続ける。
「何度も電話が鳴るので、養女が不審に感じたのでしょう。『いったい誰からなのよ?』と携帯を取りあげられてしまったそうなのです。他の着信履歴は会社からの転送ですから電話の主がわからないけど、私は直ですから表示に名前が出ていた。それで気づいたみたい。養女は『(元専務が)バラしたんだわ』って焦りだし、『せっかくここまできたのにぃ、もうバレたわ、バレたわっ』と言って部屋の中を熊のようにグルグル回り始めたといいます。『(元専務に)裏切られた』と言い、怒りまくっていた。そばで見ている新谷さんも怖くなるほど異常な行動だったみたいです」
 それまで貴と元専務は示し合わせ、高倉健の死を近親者に隠そうとしてきたわけだ。が、図らずもそれが漏れてしまい、彼女は元専務が寝返ったと感じたのだろう。異様な態度に怖気づき、新谷はいつでも逃げられるように勝手口のドアに後ずさりした。そのとき、新谷の携帯電話に元専務から連絡が入った。
「(元専務が)『今、駅についたから迎えに行くね』と言うので、新谷さんが『今来ちゃダメ』って駅で待機させ、そのまま火葬場に向かってもらったそうです。養女は火葬場で映画会社の人たちを出迎えている元専務の姿を見て、『もう彼とは会わない。ここから出さないと私は中に入らない』と言いだした。新谷さんは『(元)専務を火葬場から追い出したら、親戚が誰もいなくなる』と反対したそうですが、養女が弁護士に頼んで元専務を締め出したのです」(前出・姪)
 高倉プロの元専務は密葬で列席者の出迎えだけはしたが、骨を拾うことすら許されなかった。養女にとって弔問客は初対面ばかりだが、そんなことはお構いなし。密葬は貴の披露目の席と化したという。姪の証言。
「元専務がその場から離れると、彼女が火葬場に入って来て『養女の小田貴でございます』と挨拶を始めたようです。元専務は忙しい5人の参列者に、『高倉の顔を見てくだされば、それだけで結構です』と火葬を待たずに引き揚げてもらうよう挨拶していたけど、彼女は『お話がありますから待合室へどうぞ』と引き止め、まずは看病の話。それから伯父が大事にしていたリンを持ってきて、仏様の前で『鳴らしてください』と順番にやらせたらしい。最初は降旗監督で、ショックでボーッとしながらチンと鳴らすと、『もっと大きく』と注文をつけていたようで、それも異様だったそうです」
 こうして小田貴は親族を排除し、40億円を超えるとされる高倉健の遺産のすべてを相続した。相続税支払いのためだろうか、遺品の多くを処分している。ポルシェやベンツなど多い時で十台以上あった高級外車を売り払い、クルーザーを解体、ここへ来て世田谷区瀬田の豪邸や江利チエミとのあいだの水子が眠る鎌倉霊園の墓地まで処分しようとしている。最後に実妹の敏子が言った。
「これだけは知ってもらいたいんですけど、うちの甥とか姪とか、私たちの中で遺産がほしいと思うとる人間は、誰もいません。高倉健はあれだけの人やから、遺産は東北の震災に寄付する……。そうやったらカッコいいよね、って私たちは生前、話しとったくらいですから」
 名優の死後、浮かびあがるあまりに不可思議な出来事は、これだけでは済まなかった。(文中敬称略 以下次号)

取材・文 森功 (ノンフィクション作家)
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高倉健と、彼が所有していたクルーザー。’15年2月に養女からの依頼で解体されたという
PHOTO:等々力純生(1、4、枚目) 今津勝幸(6枚目)
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