【短期集中連載】FRIDAYノンフィクション 高倉健が愛した女と男

第3回 「エイズ死騒動」の裏にあった「吉永小百合からの電話」
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’79年、映画「動乱」の試写会の際の高倉健と吉永小百合。2人は’82年の「海峡」でも共演した
 映画の仕事を終えると、一人ふらりと海外に出かけることが多かった高倉健(享年83)は、1985年の「夜叉」(東宝)のあとも、しばらく所在不明だった。エイズ騒動はそんな雲隠れが導火線となった。もとをただせば、当人がHIV研究で知られるパリのパスツール研究所を訪れたときの目撃が発端だ。そこから怪しげな情報が流れ始めた。
「高倉健がパリで死亡した」――。
 ’87年4月15日夕刻のことだ。インターネットも普及していないのに、パリの目撃情報は瞬く間に拡散し、高倉健のエイズ死亡説が世界中に広まった。やがて一般人からマスコミ各社に問い合わせ電話が殺到した。
「死んだのはパリじゃなく、アメリカだ」
 HIVが社会問題化する折、芸能マスコミはむろん新聞、通信社の記者たちまでが錯綜する怪情報の裏どりに走った。
「健さんが亡くなったのよ」
 むろん結果は空騒ぎに終わる。「南極物語」でコンビを組んだ監督の蔵原惟繕(くらはらこれよし)が、本人に電話連絡をとると、ラスベガスで行われたWBCミドル級タイトルマッチを観戦したまま米国に滞在していたらしい、という結論に落ち着いた。
 ひと月後の5月21日、パリ・ダカール・ラリーを描いた映画「海へ〜See You〜」(東宝)の制作発表で高倉健は、珍しく300人の芸能記者に気色ばんだ。
「女の噂とかであれば笑って済まされるが、故郷には母親もいるんです」
 だがこのエイズ死亡騒動には、いまだ語り尽くされていない秘話がある。
「ロック・ハドソンが死んだニューヨークの病院で、健さんが亡くなったらしいのよ。ヤッさんは迎えに行かないの?」
 騒ぎの渦中、そう電話をかけてきたのが吉永小百合だ。「ジャイアンツ」「武器よさらば」など数々の名作に出演したハリウッドスター、ロック・ハドソンは同性愛者で、’85年にエイズで死亡していた。
 その病院で死亡したと吉永小百合が伝えた相手の「ヤッさん」とは、京都市内で西村石油を経営する西村泰冶(78)である。京都の素封家(そほうか)の息子である西村は映画俳優のタニマチだった父親の影響で、10代の頃から東映撮影所に出入りし、20歳で社員として制作進行役となる。電話の主である吉永小百合とは、’71年のテレビ時代劇「女人平家」(ABCテレビ)の撮影時から親しくしてきたという。
「撮影で東京と京都を往復する吉永さんを車で送り迎えしていました。で、京都から伊丹空港に送っていたあるとき、本当なら豊中インターで名神高速を下りなあかんのに、尼崎まで行ってしもた。飛行機に遅れそうになったんや。しゃあないから高速をUターンし、対向車をよけパッパラパーとクラクションを鳴らしながら逆走して間に合わせたんです。吉永さん、恐ろしかった思うわ。けど、それで覚えてもろて親しくなり、京都に来ると、うちの家にも泊まってくれはるようになったんです」
 西村が人懐こい表情を浮かべ、こう明かす。高倉健を知ったのは、萬屋錦之介からの紹介だそうだ。こちらも優に40年を超える付き合いであり、プライベート面を知る数少ない側近である。高倉健もまた京都に来ると、ホテルに泊まらず密かに西村宅で過ごすようになる。西村は高倉健のことをダンナと呼ぶ。
「ダンナははじめ、京都市内のホテルフジタ京都7階のスウィートルームを定宿にしていたけど、いつの間にかうちに泊まるようになりました。3人の付き人がいて、2人がいっしょに京都に来ていましたけど、彼らを東映撮影所の近くに泊め、自分はまったく別行動。撮影のときは僕が送り届けていたさかい、東映の人もダンナの居所は知らんかった思います」
 そう昔のことを振り返った。エイズ騒動は、まさしくそんなお忍び行動の折の出来事である。
「ニュースで健さんが外国で死んだと伝えられ、エイズの薬会社の株がガーッと上がった。あのときもダンナはひと月ほど家におりました。で、『もしもしヤッさん、聞いてるの? 健さんが亡くなったのよ』と吉永さんが悲しい声を出すのや。けど、そばにダンナがいてニヤニヤしてるさかい、『吉永さん、誰にも言うたらあかんで。ダンナは今うちに隠れてはるんや』と教えてやったんです。わしの家にいるいうことはまずいけど、ちゃんと生きとる、と情報を伝える必要はあったからな。で、吉永さんは『そうだったの、安心したぁ』と言うてました」
「私、健サンに惚れてるの」
 西村の家にひと月いたとなれば、ラスベガスでボクシング観戦をしたまま米国に滞在していたわけでもないようだ。西村が補足説明した。
「われわれは京都にいて、マスコミにわからんよう、あちこち車で行ってました。ダンナが外国にいるというニュースを蕎麦屋で笑いながら見たこともある。そうしたらまた田中邦衛さんから『ヤッさん、健さん(米国に)迎えに行かへんのか』と電話がかかってきた。『なに言うてんねんな、そんなの信用したらアカンで』と言うてやったり」
 もとよりエイズ騒動は完全なデマだ。高倉健がHIV研究で有名なパリのパスツール研究所を訪ねたのは、次回作「海へ〜See You〜」のロケハンでアフリカへ行く前に予防接種をするためだった。もっとも西村家でもエイズの件は話題に上ったという。
「ダンナがうちに泊まると、うちの嫁はんが下着を洗いよるねん。それ見たら、ぜんぶ真っ赤っ赤のパンツなんよ。で、嫁はんに『ダンナ、ホンマは(同性愛で)エイズなんか?』って聞いたら、『お父さん、おっちょこちょいやな』と怒られてしまった。『長い旅をかける男の人は、真っ白いパンツで汚れが目立つと恥ずかしいから、色パンツをはくもんや』と」
 西村はこう笑い飛ばした。高倉健は映画の記者会見で「病院に行ったとか、同性愛だとか、僕にとっては馬鹿げた話です」と噂を一蹴した。同性愛説について、西村は率直に話した。
「もともとは『新網走番外地 吹雪のはぐれ狼』(’70年12月東映)で六本木およしという有名なオカマが出演していて、そこからなんや。およしとダンナがあんまり演技がうまいさかい、ダンナもそうなんかと疑われた。そのあともおよしは『健さーん』と呼んで仲がよかったさかい、エイズみたいな話まで出てきたけど、ぜんぜん違う。男が惚れるちうことはあるけど、ホンマはけっこう女好きやで、ダンナは」
 高倉健は江利チエミと離婚したのち、私生活をいっさい明かさず、禁欲、克己主義を貫き通したと伝えられる。しかし映画の共演女優と浮き名を流したことも一度や二度ではなく、実は見合いまでしたことまであるという。
「共演した女優が惚れよるんです。『居酒屋兆治』のロケで大原麗子と会ったときなんかは冗談やのうて、『ヤッさん、幸せね。私、健サンに惚れてるの』と言うとった。けど、ダンナは難しいところがあるさかい、よういかへん(手をつけない)。その割に見合いもしとった。(その中には)結婚しようと思った人もいるけど、ふられとった。やっぱり女にとって難しい男なんですダンナは。それだけ高倉健という名前を大事にしとったですな」
 別の関係者によれば、結婚寸前まで行った見合い相手は女優だという。だが、女優を辞めることが結婚の大前提とされたため、やむなくあきらめたのだとか。
 通常、冠婚葬祭にもいっさい出席しない高倉健は、京都宝ヶ池プリンスホテルで執り行われた西村の長男の結婚式にだけは駆けつけている。西村の述懐。
「うちの結婚式は、高倉健、吉永小百合の夫婦、中井貴一、それから小林稔侍、北大路欣也夫婦、芦川よしみ、桜木健一……、20人ぐらいの役者が来てくれました。あえてダンナは招待しなかったんですが、来てくれて、『こんな最高の日は今日で最後で、あとはずっと荒波の日が続くと思う。それを2人で乗り越えてください』という、しびれるようなスピーチをしてくれました。その言葉は今度の映画のシーンとして紹介されています」
 8月20日公開のドキュメント映画「健さん」では、知られざる高倉健の素顔に迫っている。(文中敬称略 以下次号)
取材・文 森功 (ノンフィクション作家)
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PHOTO:産経新聞社(1枚目) ムトー清次(2,4枚目)
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