追悼 永六輔さんが最期まで貫いた「反骨の流儀」

享年83、ラジオを愛し、反権力の美学を通した放送人
追悼 永六輔さんが最期まで貫いた「反骨の流儀」 画像1
昨年12月、長年親交のあった作家・野坂昭如さんの青山葬儀所(港区)での葬儀にて。永さんは’10年に自身のパーキンソン病を公表していた。隣は次女でフリーアナの永麻理
「永さんがリハビリで辛そうにしている時、介護士の東南アジア系の外国人が彼のことをよく知らずにこう言ったんです。『そんな苦しそうな顔しないで。ほら、日本には有名な歌があるでしょう? 知りませんか、〝上を向いて歩こう〟って曲』と。それに対して永さんは『僕はそんな歌、知らない』って返したんです(笑)。本当に最期までユーモアを忘れない人でした」(元『話の特集』編集長・矢崎泰久氏)
 7月7日に肺炎のため永眠した永六輔さん(享年83)。テレビ草創期から活躍する放送作家にして作詞家、ラジオパーソナリティ、エッセイスト……。多才ゆえ幅広い活動をしていた彼は生涯ユーモアと反骨の精神を持ち続けた。
「永さんがテレビのリポーターとして『インディ500』(米国で毎年開催されるモータースポーツイベント)に行ったときのこと。そのレース中、死者が出るほどの激しいクラッシュがあった。すると彼は『ここに集まっている観客たちは、みんなこの瞬間を待っていたんです!』と躊躇なく言っちゃった。いくらスリルを求めている客が多いとはいえ、タブーをさらっと口にする。『みんなが思ってることを口に出して何が悪い』というのが永さんの意見で、〝無難なテレビ〟に対する反骨精神だったと思います」(同前)
 ’60年安保に反対するなど、2枚目写真のように政治参加にも積極的だった。’60年代半ばからテレビと距離を置き、「等身大でいられる」とラジオを主な活動の場とした。権力に寄り添う人には辛辣で、折りにふれ、平和や日本国憲法の大切さを説いた。昭和がまた、遠くなった――。
追悼 永六輔さんが最期まで貫いた「反骨の流儀」 画像2
永さんは「ベ平連」に参加していた。’67年、「ワシントン・ポストに反戦広告を出す運動」に協力し、銀座で募金を呼びかけているところ
PHOTO:小檜山毅彦 講談社写真資料室(2枚目)
あなたにオススメ

FRIDAY GOLD

10月18日発売
friday gold