リオ五輪「涙と友情のライバル物語」

必読!
日本代表メダル候補6人の
知られざる秘話

レスリング
吉田沙保里(53㎏級)
×
伊調馨(58㎏級)
リオ五輪「涙と友情のライバル物語」 画像1
’07年の代表合宿で肩を組む伊調(右)と吉田(中)。ロンドン五輪後、階級が見直され、吉田は53㎏級、伊調は58㎏級の代表となった
リオ五輪「涙と友情のライバル物語」 画像2
ノーモーションの高速タックルは健在。吉田は’14年に父を、伊調は母を亡くした。特別な想いでリオに臨む
 吉田沙保里(33)と伊調馨(かおり)(32)はかつて、同じ56㎏級で戦い、全日本女子選手権で2度、対戦している。
 最初は’00年、吉田が高3、伊調が高1のときだ。2度目はその1年後。結果はいずれも、吉田の判定勝ち。ただ、この年代での2学年差は大きく、関係者は「実力的にはほぼ互角」と見ていた。
 ’02年、アテネ五輪から採用される女子レスリングの階級が48㎏級、55㎏級、63㎏級、72㎏級の4階級に決まると、二人を指導する中京女子大・附属高の栄和人(さかえかずひと)監督は重大な決断をした。食が細く、身体が大きくならない吉田を55㎏級に、上背のある伊調を63㎏級へと振り分けたのだ。
 アテネでは揃って金メダルを獲得。
 これ以降、二人がスパーリングする機会は激減した。中京女子大→ALSOKと昨年末、吉田が退社するまで二人の所属先は常に一緒だったが、移動の際の飛行機やバスでは隣同士にならず、食事も買い物も遊びも別々。
 それでいて、練習では互いのスパーリングはもちろん、ランニングやトレーニングに至るまで、吉田は伊調を、伊調は吉田を目で追う。相手が終えるまで、けっして練習はやめないのだ。
 北京五輪とロンドン五輪の直前、吉田の連勝記録が途切れるというハプニングが起きた。伊調は先輩の敗戦の弁を自らの戒めとして、心に刻んだ。そして今回、リオ五輪直前に伊調が不覚を取った。今度は吉田が代表監督の栄よりも早く情報を収集し、気を引き締めた。
 二人とも自らの階級は眼中にないのだ。
 吉田は、世界選手権4回優勝を誇る山本聖子という最大のライバルを破って、アテネ五輪出場権を獲得。以後、一度もその座を手放していない。伊調にも4度世界一に輝いた正田絢子というライバルがいたが、現在、ライバルと呼べる存在はいない。それどころか、絶対女王との対決を避け、階級を変更する選手が続出。’15年6月の全日本選抜選手権では、伊調の女子58㎏級に出場したのは彼女を含めわずか3名。優勝インタビューで伊調は「私を倒して世界に行きたいという若手が出てこないのは悔しいし、物足りない」と苦言を呈した。
 この10年間、二人にとって自らを高めてくれる存在であり続けたのは伊調であり、吉田だった。マットの上で戦うことはないが、かつて、長嶋茂雄と王貞治がチームの勝利という同じ目標に突き進みながらも、互いを強烈に意識し合ったように。伊調と、もし闘わば――そう問うと吉田は饒舌(じょうぜつ)に語り始めた。
「タックル=吉田というイメージがあるかもしれませんが、カオリンのタックルも凄い。ここと決めたときの確実性は世界一。それと、ディフェンスが強い。足を取られても倒れないバランスはカオリンならでは。自分がタックルに入っても、倒せないでしょうね。むやみやたらと入ったら、タックルを切られてバックに回られ、ポイントを奪われる可能性が高い」
 伊調は冷静に分析した。
「サオリさんはタックルだけでなく、レスリングのうまさがある。相手の力をずらしたり、かわしたりして、グラウンドでも勝負できるし、投げ技もある。つかめないうちに、やられそう。集中力も世界一だと思います」
 リオでは伊調が先に登場する。
「先に4連覇を達成できるカオリンにはうらやましさもありますが、プレッシャーもあるでしょう。でも、カオリンなら大丈夫。120%、いや200%優勝します。私はそれを見て、『自分も絶対優勝する。カオリンに続く』と燃えてくると思います」
 イケイケな吉田に対し、伊調はやはり、冷静だった。
「4連覇も目標のひとつですが、それに縛られず、オリンピックでは自分のレスリングを追求したい」
 リオで4連覇に挑戦できるのは、吉田と伊調だけ。世界最強のライバル二人が切磋琢磨しながら、偉業達成に挑む。
撮影・文 宮﨑俊哉(2枚目写真は朝日新聞社)

柔道 100㎏超級
原沢久喜
×
七戸 龍
リオ五輪「涙と友情のライバル物語」 画像3
今年4月の全日本体重別選手権の100㎏超級決勝で原沢(左)に有効を奪われ、七戸は畳の上で呆然とする
 リオデジャネイロは、柔道全日本男子の監督を務める井上康生にとって因縁の地だ。’07年の世界選手権100㎏超級、井上は2回戦でフランスの大男に転がされ、敗れてしまう。シドニー五輪金メダリストの井上はこの一戦を最後に国際舞台から離れ、翌年、引退を決めた。
 井上がリオで対戦し、敗れた相手――当時、18歳だったテディ・リネールは、同大会で史上最年少の世界王者となり、その後、絶対王者として君臨することとなる。
 ロンドン五輪後、監督に就任した井上に課せられた最大の命題が「重量級の再建」であり、その井上が満を持してリオに送り込むのが原沢久喜(ひさよし)(24)である。
 山口県出身の彼は小中学時代、全国大会に出場したことが一度もない。私立早鞆(はやとも)高校に入学する時点では、身長172㎝で66㎏級という、ガリガリにやせ細った選手だった。ところが高校時代のわずか3年で身長はみるみる大きくなり、高校3年生の時点で192㎝まで伸び、階級はいよいよ100㎏超級に突入。身長に見合った体重になると次第に勝てるようになり、インターハイにも出場した(3位)。原沢の才能がより花開いてゆくのは’11年に日本大学に進学してからだ。
 翌年11月の講道館杯で優勝し、’13年の全日本選手権では決勝に進出。敗れはしたものの100㎏超級の代表に名乗りをあげた。日本大学の金野潤監督が振り返る。
「原沢は負けた次の試合に強いんです。敗戦を糧(かて)とできる選手。負けると自然体に戻って、一から柔道を見直すことができる。そこがエリート街道を歩んできた選手とは違うところです」
 そのころ、代表レースの先頭を走っていたのは、七戸(しちのへ)龍(27)だった。世界選手権には’13年から3年連続で出場し、二つの銀メダルを獲得。決勝で敗れた相手はいずれもリネールだった。
 JRA(日本中央競馬会)の所属らしく、原沢は「代表争いは当時、5馬身差はありました(笑)」と振り返る。
 とにかく時間がない。七戸を抜いてリオの代表になるには、自分の最大の武器である内股を磨きあげるしかない――原沢は毎朝、馬事公苑のダートで走り込みを行い、下半身を苛(いじ)め抜いた。
「足元から相手を崩し、内股で1本をとる形ができ上がったことで、組手にも余裕が出てきました」(原沢)
 その後の国際大会で7連勝を飾り、七戸にも連勝。4月の選抜体重別を優勝したことで、代表に当確ランプがついた。
 七戸に競り勝って代表をつかんだいま、ターゲットにするのはあの大男の背中だ。練習でリネールと対峙した経験はあるが、不思議と試合での対戦経験はない。
「練習でやったときは、リネールも本気じゃなかったと思うんです。こちらにわざと技をかけさせて、探っているような感じはありましたね。対戦がないことが有利に働くのは、挑戦者である自分のほうだと思います。やっぱり、リネールからしたら、何をやってくるのかわからない怖さがあると思うんです」
 世界ランキング1位のリネールと、同2位の原沢がリオの畳で対戦するとしたら、決勝となる。
「もちろん、リネールのことばかり考えていたら足もとをすくわれる。他の選手の研究もぬかりなく、当日を迎えたい」
 原沢にとって監督の井上は、柔道を始めたころから憧れ続けた柔道家である。
 リネール時代は続くのか。それとも原沢が新しい時代を切り開くのか。日本柔道が復活を果たす場として、リオほどふさわしい場所はない。
取材・文 柳川悠二
撮影 朝日新聞社/Getty Images

競泳 平泳ぎ
金藤理絵
×
渡部香生子
リオ五輪「涙と友情のライバル物語」 画像4
泳ぐたびに日本新を叩き出した往時の勢いが復活。今年4月には日本人初となる2分19秒台をマークした
リオ五輪「涙と友情のライバル物語」 画像5
ロンドン五輪以降、金藤のVを阻み続けた渡部香生子(左)に今年は連勝。7年ぶりに日本新を更新
 金(かねとう)理絵(27)はオリンピックに主将として帰って来た。競泳日本代表のチームのキャプテンを女性が任されるのは彼女が初めて。平井伯昌(のりまき)代表監督は「精神的安定」を抜擢の理由に挙げた。金メダルを狙える実力はもちろんのこと、何度も地獄を見た彼女のハートの強さはリーダーにふさわしいと判断したのだ。
 金藤が見初められたのは高校時代。インターハイの200m平泳ぎで優勝した泳ぎを見た東海大学の加藤健志(つよし)コーチは「2分20秒――世界記録(当時)を破る逸材」と惚(ほ)れ込み、スカウトした。
 東海大入学後、金藤はメキメキと頭角を現し、北京五輪平泳ぎの日本代表に選出された。メダルには手が届かなかったものの、決勝進出を果たして7位。
 北京五輪翌年の日本選手権で日本新記録、その後のユニバーシアード、日本学生選手権で自身の記録をさらに更新。ロンドンでのメダル獲得に向け、着実に階段を上っている、かに見えた。
 ところが、ヘルニアの発症で青写真が崩れた。追い込みができず、ロンドン五輪代表選考会で15歳の新星・渡部香生子(かなこ)に敗れ、まさかの代表落ち――。
 渡部の上下動の少ないスムーズな泳ぎと、何より、怖れを知らぬ若さが金藤には脅威だった。それに引き替え、バテることを怖がって体力の温存ばかり考える自分。私はこんなに弱い人間なのか。一時は引退のことばかり考えていた。
 金藤を救ったのは家族だった。
「昨年、姉の結婚披露宴で『世界で泳ぐあなたの姿は私たちの誇り』という金藤向けのメッセージビデオがサプライズで流されたのです。最後は御両親が『水泳を続けてほしい』と手作りの金メダルを贈呈。金藤は家族、友人たちの粋(いき)な計らいに涙し、復活を誓いました」(知人)
 金藤は加藤コーチと肉体改造に着手。1日20㎞もの泳ぎ込みに加えて、ベンチプレスやスクワットなど、男子なみのウエイトトレーニングに取り組んだ。そして今年4月9日、リオ代表選考会で加藤コーチが掲げた「2分20秒」を切る2分19秒65――今季世界最高となるタイムで優勝。見事、2大会ぶりの五輪出場を勝ち取った。
「積極的に皆に話しかけたい。話しやすい雰囲気を作りたいですね」
 同じく代表に選ばれた渡部をも気遣(きづか)う余裕を見せるほど、精神的にも、肉体的にも大きくなった金藤。一大会遅れの悲願達成が現実味を帯びてきた。
取材・文 黒井克行(金藤)
撮影 Atsumi Tomura/Getty Images(金藤) 日刊スポーツ/アフロ(金藤・渡部)

バレーボール
宮下遥
×
竹下佳江
リオ五輪「涙と友情のライバル物語」 画像6
世界最小セッターとして活躍した竹下。「考えることも大事だけど、考えすぎだね」という助言を宮下はいまも忘れない
リオ五輪「涙と友情のライバル物語」 画像7
一方、宮下の身長はいまも成長中。体幹が強化されたことで、持ち前のレシーブ力に加えてハンドリングやトスも安定
 整った顔立ちにきりりとした目尻。言葉数は多くないものの、宮下遥(21)の口ぶりには強い意志が感じられた。
「セッターが代わったから日本が弱くなったと思われるのだけはイヤでした」
 銅メダルを獲得したロンドン五輪後に引退した竹下佳江(38)に代わり、’13年に全日本女子の正セッターとなったのが宮下だった。その瞬間から、小さくて大きな先輩の背中を追う宿命を背負った。
 記者会見となれば、しつこいくらいに竹下と比較する質問を繰り返される。悔しさから、涙を流したこともあった。
「いまでは、考えないようにしています。竹下さんを超えるのではなく、私なりに新しい全日本のセッターを作れればいい」
 宮下は中学3年生だった’09年11月、岡山シーガルズに入団。〝春高バレー〟(全国高等学校バレーボール選抜優勝大会)を経由して社会人に入団するケースが当たり前の時代に、あえて獣道を選んだ。
 当時から宮下の指導にあたる岡山シーガルズ・河本昭義監督はいう。
「あの子はね、まだまだ顔はおぼこい(子どもっぽい)けれど、年齢のわりにはおませなんです。試合中は誰より冷静で、指導者の意見も自分に必要ないと思ったら、聞き流すこともできますから」
 前任者の竹下の身長が159㎝だったのに対し、宮下は177㎝。日本の女子バレーは一気に大型化が進んだ。河本監督が続ける。
「宮下はまだ21歳。長い目で見てあげないと。リオが終われば、竹下選手と比較する人はいなくなるでしょう。東京五輪のころには男子顔負けの力強くて安定したトスが上げられるようになっている。日本に金メダルをもたらしてくれるはず」
 宮下にとって初めての五輪となるリオでは、8月6日の1次リーグ初戦で、いきなり5月の五輪世界最終予選で敗れたライバル・韓国と対戦する。前回大会の銅メダル以上を狙うには、絶対に負けられない一戦である。
取材・文 柳川悠二(宮下)
撮影 日刊スポーツ/アフロ(竹下) Enrico Calderoni/アフロスポーツ
あなたにオススメ

FRIDAYダイナマイト

5月2日発売
fridayダイナマイト

FRIDAY写真集

電子写真集