FRIDAYノンフィクション 初の女性総理を見据える女 小池百合子「男はあきらめて、政治に生きるわ」

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都知事当選後、愛犬の「総」を抱いて自宅前で本誌の取材に答える。「総理」から一字取ったという
 小池百合子新都知事(64)と、彼女が敵に回した自民党議員の違いは何か。それは、戦争体験ではないだろうか。そんな思いを強くしたのは、「安倍晋三首相(61)が警戒している」という話を聞いた時だった。
 都知事選前日の7月30日夜、永田町のザ・キャピトルホテル東急の日本料理店で、安倍首相、菅義偉官房長官(67)、おおさか維新の会の橋下徹前代表(47)、松井一郎代表(52)、馬場伸幸幹事長(51)の5人が会食した。
「秋の臨時国会での憲法改正議論について、話し合いが行われたのだろう」というのが、当初、周囲の見方だった。
 ところが、この見立ては大きく変化していく。翌日、都知事選で、自民党が擁立した増田寛也(64)に対して、小池百合子が百万票以上の差をつけて圧勝すると、その夜、知事選に関わった人物からこんな話を聞かされた。
「今後、小池さんは大阪で維新が立ち上がったように、東京で地域政党を立ち上げて、政界の第三極になる可能性がある」
 その一週間後には、前述した安倍首相の会合の中身がこう解説されるようになった。
「都知事選で小池勝利を見越していた安倍首相側は、維新に対して『小池新党に合流しないでくれ』と釘を刺したのではないか」(全国紙政治部デスク)
 小池は名古屋の河村たかし市長(67)と日本新党時代の同志であり、その河村市長は、7月の参院選で維新の松井代表と協力関係にあった。名古屋を仲介して、大阪と東京の地域政党が合流すれば、既成政党は脅かされる。「だから、首相たちは警戒している」というわけだ。
 すると、8月10日、小池本人が都議や区議ら約70人が集まった会合であっさりとこう明言したのである。
「(新党は)選択肢のひとつ」
 さらに踏み込み、「新党というよりネットワーク」と語ったのだ。東京、大阪、名古屋のネットワーク。永田町という狭い空間で行われていた政治闘争を、三大都市圏から中央を変えていく、という意味だろう。過去にない政治手法であり、知事選は小池の戦いにとって、伏線のひとつにすぎなかったのだ。
「一本取られました」
 選挙後、首相官邸で小池を迎えた時の安倍の一言は、まさに彼女のしたたかさを表現している。予測できない行動でしたたかに立ち回る小池の素顔とは? 郵政民営化をかけた2005年の衆院選で「刺客第一号」として圧勝し、今回のように脚光を浴びた時、私は初めて彼女の戦争体験を知ったのだった。
留学先で戦争が勃発
 刺客第一号として大勝した選挙から半月後の2005年10月初めのことだった。私が滅入る気分で環境大臣室に入ると、小池大臣が椅子から立ち上がり、コピーを掲げてひらひらさせながら、彼女は「まあ、まあ、本当にずいぶん色々と書いて……」と言いながら、ソファに腰掛け、足を組んだ。
 大臣が手にしていたのは、翌日発売の週刊文春の長い記事である。誰かが入手してご注進したのだろう。記事には、『小池百合子研究第一弾』という大文字のタイトルが躍っている。書いたのは私であり、小池はこの記事の取材を以前から嫌がっていた。彼女が「その話はあまり触れてほしくない」と言い続けた父親のことを中心に取材していたからだ。
「それで、第二弾はどうするんですか」
 淡々と聞く大臣に、絶句されるのを覚悟でこう聞いた。
「エジプトでの離婚と、その後の男性とのおつき合いについてです」
 ――女というだけで常にこんな話題をふられてうんざりだろうと思っていると、彼女は「第四次中東戦争への恐怖と、父親への反発から結婚を決めたんです」と、静かに語り始めた。
 高校時代からアラブの専門家になるための人生設計を細かく構想し、スケジュールを立てていた彼女にとって、想定外は留学先での戦争だった。空襲警報、灯火管制、食料品の統制。ナツメヤシをかじりながら毎日を過ごし、大学では軍事教練が行われ、匍匐(ほふく)前進をする日々だったという。
「戦争が怖かった。私はアパートの光が漏れないように、窓を青ペンキで塗ったり、どうしたらよいかわからない日々でした」
 明日、死ぬかもしれない。頭から爆弾が落ちて、突然、死ぬかもしれない。日々、「死」を意識する体験は、多くの人がそうであるように、限られた時間の中で中途半端なことなどやっている場合ではないという感覚をもたらす。それは「覚悟が身に付く」という言い方をされる。
 戦争の恐怖から、彼女は三歳年上の日本人留学生と入籍した。21歳の時だった。だが、「半年か、一年もたたずに離婚しました」と言う。彼が企業から誘われて、大学を辞めてサウジアラビアに行くと言い、「一緒に来てほしい」と言ったからだ。彼女の目的はアラブの専門家になることであり、大学を卒業することである。それが離婚を選んだ理由だった。
 その後、「人の紹介で何度か見合いをしたことがあるが、それはつき合いで見合いをしたまでで、結婚したいと思ったことはない」と断言する。
「(離婚後の交際は)なかったことはない。でも、キャスターといい、政治家といい、相手を巻き込んでしまう。それに、のめり込んで相手を愛することがないんです。仕事に邁進するほうが楽しいですから」
 良くも悪くも一匹狼の生き方を選んだのである。
 もう一つの結婚した理由、「父親への反発」とは、父親から逃げるためだったと彼女は言っている。だが、小池の政治家としての姿は、父、小池勇二郎(三年前に死去)の生き方が色濃く反映しているとしか思えないのだ。
 父・勇二郎のことを、「ああ、あの戦前の大陸浪人みたいな人か」と、鮮明に記憶している人は多く、また人脈も華々しい。中曽根康弘元首相(98)、「塩ジイ」こと塩川正十郎元財務相、コスモ石油元社長の中山善郎、北方領土や沖縄返還に尽力した末次一郎、そしてリビアのカダフィ大佐や、エジプトのサダト大統領、イランを脱出したパーレビ元国王と、多くは鬼籍に入ったが、歴史を築いた人々であり、勇二郎は世界を股にかけていた。
 満州から引き揚げて関西で青年実業家となった勇二郎は、主に貿易を営んでいた。勇二郎と仕事をしたことのある人物は、当時、取材でこう語っている。
「口癖は、世界を支配する欧米の石油メジャーに負けたらアカン、でした。勇二郎さんはアラブの国々を回って、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)の創設に尽力した人です。ただ、豪快だけど、大言壮語。’72年、リビア政府との石油貿易の交渉の際、カイロ大学の学生だった百合子さんを通訳として同伴させ、『コイケ・アズ・ジャパンや。日本を代表してきた。百合子、はよ訳せ!』と、日本政府の代表であるかのようなホラを吹く。百合子さんは、『恥ずかしいから、もうやめて』と困り果てていました」
 破天荒な父親だが、小池の高校時代の同級生は、彼女が当時から「日本は資源がないでしょ。これからは石油だから、アラビア語を勉強しないと」と言ったり、国際情勢に言及する姿を覚えていた。父親の影響だが、彼女は取材中、きっぱりとこう言った。
「家族にはいい思い出はほとんどないんですよ」
 1952年、小池は高級住宅街で知られる兵庫県芦屋市で生まれた。小池の実家も洋風の大きな屋敷で、「スポーツも勉強もできる子」と同級生たちには記憶されている。だが、芦屋のお嬢様かというと、「羽振りが良かったのはほんの一時期だけ」と小池本人は言っている。
「(父は)飲む、打つ、買うをやってくれるほうがまだましですよ。いつも国家とか国益とか世界とか、スケールが大きすぎる話ばかりする。国家を語る前に、私は家族を何とかしろと言いたかった。いつも家族はほったらかしだったんです」
 ’60年代、父親は政治にのめり込んでいく。青年作家・石原慎太郎(83)を総理に担ごうと、「日本の新しい世代の会」に参加し、理事に就任。石原とも交流をもつが、約50年後に石原はその勇二郎の娘を都知事選で「大年増の厚化粧」と罵倒するのだから皮肉な巡り合わせである。
 ’69年、小池が高校二年生の時に、父親は衆院選に出馬。選挙中、自宅に大勢の人たちが出入りしては酒を飲む姿を見て、小池は母親に「落選したらどうなるの」と聞いた。母はこう答えたという。
「一家心中する」
 父は落選した。いつ一家心中するのだろうと彼女は思いながら、過ごしたという。カイロで戦争を体験する前に、すでに「死」を意識する日々を高校時代に経験している。そして、落選をきっかけに、勇二郎の会社は経営が悪化。娘がカイロ大学に留学して間もなく、事業に失敗した父は妻とともにカイロに移ったという。
 父の出馬から約二十年後――。
 小池はアラビア語通訳として活動した後、’88年からテレビ東京『ワールドビジネスサテライト』の初代キャスターを務め、’90年に脚本家の内館牧子(67)とともに、「日本女性放送者懇談会賞」を受賞。ジャーナリズムの世界で成功の階段を着実に昇っていた。このころから複数の政党から出馬を打診されている。しかし、日本新党から参院選への出馬を決意する際、政界に人脈があるはずの父親には一切、相談していない。
 前述した週刊文春でのインタビューで彼女は出馬について、こう語っている。
「もともと政治家になるのは変人だと思っていましたし、政治家になろうという意識もずっとなかったんです。
 ただ、私はキャスターとして、自分でベルリンの壁の崩壊を直接伝え、ソ連の崩壊、バブルの崩壊を報じました。毎日、為替と金融情報を報じながら、政治家をゲストに招くわけです。すると、日本はこれでいいのか、と思えてきたのです」
 そうした意識が父親に似ているのではないのかと問うと、彼女は「そうかもしれないけれど……」と口ごもりながら、こう話している。
「確かに、父はいつも国益を論じていましたが、それを実行できない人だった。反面教師です。私は父への反発心があったから、相談しなかったんです」
 では、実行して結果を出すためにどう動いたか。
総理を目指しますか?
 彼女は意外なきっかけで、政界入りを決意している。細川護熙(もりひろ)(78)が日本新党を立ち上げ、全国から多くの賛同者が集まったものの、いざ選挙となると、ほとんどの者が立候補に二の足を踏んだ。「細川さんが当選したら、自分も出る」と様子見を決め込んだのだ。
 この時、日本新党からの勧誘をためらっていた小池が突然、手を挙げた。
「自分が身を投じたら、誰もが乗ってくるだろう。このチャンスを生かしてあげないと、党が潰れてしまう」と、小池は回想している。
 ’92年7月の参院選で細川や小池ら日本新党から4人が当選。翌年の衆院選で細川や小池は鞍替えをし、この時、一気に35人が当選。誰もやりたがらないところに最初に飛び込むことで勢いをつくり、党も小池本人もイニシアティブを握り、自民党を下野させた細川政権誕生の道筋をつくったのだ。
 逆境を切り抜けるために、身を投じて逆に自分の舞台に変える。エサのない氷の上にいては飢え死にするペンギンが勇気をもって最初に海に飛び込み、エサを得ることをファーストペンギンというが、まさに同じ手法である。しかし、前述した郵政民営化選挙で圧勝した直後、「総理を目指しますか」と聞いた時には、彼女は明言せずにこう答えた。
「たらいの水と同じです。たらいの水を自分に引き寄せようとすると、手前にある水は向こうに行ってしまう」
 頂点を目指しているのか。そう思うと同時に、この時、言葉の意味をこう理解した。総理を目指すと早くから宣言すれば、ファーストペンギンどころか、やっかみで足を引っ張られて血まみれになるだけ。たらいの水のように自分に近かった人たちもいなくなる。
 しかし、永田町というたらいにしか水がないわけではない。永田町が変わらないのなら、たらいの外の水を巻き込んでしまえばいい。あの言葉の本当の意味を、11年後、都知事選後の新党報道で思い知らされるのだった。(文中敬称略)
取材・文 藤吉雅春(ジャーナリスト)
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’82年、キャスター時代に出した著書。「アラブ人の生活を実体験をもとに書き下ろした」という
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