三笠宮家「次の当主」をめぐる母 信子妃と娘 彬子女王の愛憎劇

三笠宮崇仁さま逝去で、冷戦状態にある「ヒゲの殿下」一家はどうなる
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三笠宮崇仁親王と百合子妃。親王は天皇の良き相談相手でもあった
「今年7月、赤坂御用地にある三笠宮東邸に突如、信子妃(61)が訪れ職員は騒然となりました。ちょうど彬子さま(34)と瑶子さま(33)は宮邸を空けていたタイミングでした。同行の専門業者に鍵を開けさせ、3時間ほどかけて自分の荷物をまとめて、宮邸をあとにしたそうです」(全国紙宮内庁担当記者)
 昭和天皇の弟、三笠宮崇仁(たかひと)親王(享年100)が10月27日、亡くなった。
 11月4日、葬儀にあたる「斂葬(れんそう)の儀」が行われた。喪主は妻である百合子妃(93)。高齢のため喪主代理を立てることになったが、三笠宮家の長男・「ヒゲの殿下」こと寛仁(ともひと)親王の未亡人で麻生太郎元総理の妹・信子妃ではなく、その娘の彬子女王が務めることになった。
 いま関係者を悩ませているのが、「三笠宮家の当主を誰が継ぐのか」という問題だ。通常、残された家族が誰を次の当主にするかを決め、宮内庁に届け出を出す。それを受けた宮内庁が「皇室経済会議」を開催し、正式決定となる。
「慣例では妻である百合子妃が継ぎます。しかし、百合子妃は高齢で三笠宮さまが亡くなったときも検査入院していた。『斂葬の儀』を終えてから、百合子妃、信子妃、彬子女王、瑶子女王の4人で当主について話し合われるようです」(皇室ジャーナリストの神田秀一氏)
 百合子妃が継がない場合、順当ならば信子妃が当主となるはずだが、そう簡単にはいかない事情がある。
「信子妃と彬子さまは10年ほど、断絶状態にあります。連絡を取り合うこともありません」(宮内庁関係者)
 母娘間にいったい何があったのか。
 ’80年、寛仁親王と信子妃は8年の熱愛の末、結婚。すぐに長女の彬子女王、次女の瑶子女王に恵まれた。
 だが、’04年7月、更年期障害や胃潰瘍と診断された信子妃は軽井沢の麻生家の別荘で療養生活を始める。一度は宮邸に戻るも、気管支ぜんそくを発症し入院、’09年秋には宮内庁が「宮邸にお戻りになると、ストレス性ぜんそくが再発する恐れがある」という主治医の見解を発表。退院後、東京・千鳥ヶ淵の旧宮内庁長官公邸で暮らし始め、寛仁親王とは別居を続けた。
「’12年の寛仁親王の葬儀では、彬子女王が喪主を務めました。宮内庁のなかでは信子妃が長期療養中ということで、『彬子女王を当主に』という考えもあったが、信子妃の要望で消えたようです。結局、寛仁親王家は1年経っても当主が決まらず消滅し、三笠宮家に合流しました」(前出・全国紙宮内庁担当記者)
 親王が亡くなって3年経った’15年6月。彬子女王が『文藝春秋』誌に書いた文章が波紋を呼んだ。
〈母は父の生前である十年ほど前から病気療養という理由で私たちとは別居され、その間、皇族としての公務は休まれていた。私自身も十年以上きちんと母と話をすることができていない〉
 この文章によって、母娘間の愛憎劇が公然のものとなった。
 寛仁親王と共著のあるノンフィクション作家の工藤美代子氏が語る。
「生前、寛仁殿下の口から『自分は娘と母親はずっとうまくいっていると思っていた。ところが、成長した後、娘から母との関係は決してうまくいっていないと聞かされた』と伺いました。殿下は相当ショックを受けていました」
 一方、信子妃は’13年に突如、公務を再開した。だが、いまだ三笠宮家に挨拶はないという。
 さらに女性宮家の問題もある。
「彬子さま、瑶子さまが結婚せずに残って継いだとしても60〜70年も経てば、三笠宮家は現行の皇室典範のままならなくなってしまいます。お二人が結婚すると民間人になってしまうので、あえてご結婚しない、という選択をしてもおかしくありません。生前退位以外にも議論するべき問題は山積みなので、政府は担当大臣を作って解決してほしい」(前出・工藤氏)
 天皇の生前退位などを議論する有識者会議が始まったが、宮家の継承も皇室にとって喫緊の課題だ。
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彬子女王は父・寛仁親王の公務を多く引き継いだ
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今年4月に全日本柔道選手権に訪れた信子妃。’13年11月に公務に復帰して以来、活発に活動している
PHOTO:代表撮影/ロイター/アフロ(三笠宮親王)時事通信社
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