11・12トライアウト 新垣渚「崖っぷちからの挑戦」

速球王、そして"暴投王"と呼ばれて
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あらかき・なぎさ
’80年、沖縄県生まれ。プロ2年目の’04年に177奪三振で奪三振王となる。同学年の杉内とは、いまでも交流が続いている。「戦力外通告を受けた直後に自宅の食事会に招かれました。寿司やピザをデリバリーしてね。杉内は気を遣って、野球の話をいっさいしませんでしたよ」。プロ通算172試合で64勝64敗、防御率3.99
「ついに来ちゃったよ……」
 埼玉県戸田市にあるヤクルトの寮を出た新垣渚(あらかきなぎさ)(36)は、ゆい夫人(34)に戦力外通告を受けたことを電話で報告した。9月下旬のことだ。新垣が振り返る。
「ファームの球場で練習を終えると、寮のスタッフから携帯に連絡が入ったんです。『編成の人が来ているので、すぐ寮に戻ってきてくれ』と。すぐにピンと来ました。結果を出せていませんでしたからね。応接室に行くと、編成の方は気まずそうにこう話しました。『来季の契約はしません』と。妻に相談すると『まだできると思うなら、後悔しないようにがんばってみたら』と背中を押されました。それで決めたんです。オレは完全燃焼していない。トライアウトを受けて、もう一度、一軍のマウンドを目指そうとね」
 新垣は高校時代(沖縄水産)から注目の的だった。’98年、夏の甲子園で当時、高校生最速の151㎞を記録。オリックスからの指名を拒否し、担当スカウトが自殺するトラブルにも巻き込まれた。その後、九州共立大学を経て、自由獲得枠でダイエー(現ソフトバンク)に入団すると1年目に8勝。2年目からは3年連続で2ケタ勝利をあげる。とくにスライダーは打者の視界から消えるほどの鋭さで、中日、楽天の主砲・山﨑武司に「いままで対戦した中で最高の投手」と言わしめたほどだ。だが……。
「’07年のキャンプで、オフに投球の幅を広げようとシュートに挑戦したんです。これがいけなかった。ムリにシュートを投げ続けたため右肩を痛め、得意のスライダーまで曲がらなくなってしまったんです。球速も落ち、フォームも崩してしまいました」
 乱れたフォームではボールを制御できない。’07年にはプロ野球ワーストの25暴投を記録。当時の王貞治監督からは「暴投王」と呼ばれ、2ケタ勝利も途絶えた。
「ヒジや腰も痛め、一軍のマウンドにも上がれなくなりました。その後こんなにも長くリハビリ生活が続くとは……。自分で『160㎞出すのが夢』と公言していたほど速球にこだわっていたので、140㎞そこそこしか出なくなったスピードに愕然としました」
娘たちが物心つくまで
 ’13年にわずか1勝しかあげられなかった新垣は、翌年ヤクルトに放出される。思い通りの投球ができず悶々(もんもん)とする日々。
「一人にしてくれよ!」
 イライラして、ついゆい夫人に当たったこともある。ゆい夫人は、新垣と同い年の杉内俊哉(巨人)夫人の妹。野球が身近にある環境だが、「主人を見るとツラかった」と語る。
「帰宅してもピリピリしているのが、よくわかりました。主人は普段は温厚ですが、ここ数年は表情がキツかった。家ではリラックスしてもらおうと、野球の話は極力避けました」
 ’15年にヤクルトはリーグ優勝を果たす。だが、この年も3勝(10敗)とチームに貢献できなかった新垣は、日本シリーズをファームで迎える。
「自分が歯がゆく、テレビ中継も見られない、夜も眠れない日々が続きました。野球から完全に離れたくて、よくゴルフの打ちっぱなしに行っていましたね。2〜3時間は何も考えず打ち続けていたかな。そんな自分が余計情けなかったです」
 自暴自棄寸前の新垣。彼の支えとなったのが、美日(びび)ちゃん(6)と恋(れん)ちゃん(4)の二人の娘の存在だ。
「娘が必死にがんばって、少しずつ成長していく姿を見ていたら自分の悩みなんてちっぽけなコトと思えたんです。このコたちが物心つくまでは野球を続けたい。いつもイライラしているような、カッコ悪い姿は見せたくない。速球へのこだわりは捨てました。スピードが出ないなら、ボールのキレで勝負すればいい。テーマは『脱力』です。幸い今季は肩の痛みも消え、投球フォームも固まりつつある。もう一度活躍できる手ごたえはあります」
 11月12日に甲子園で行われるトライアウトに臨む新垣。ゆい夫人は、娘たちとともに夫の復活を球場で見守る予定だ。
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毎日3〜4時間練習。背番号66は尊敬する斉藤和巳を意識してつけている
PHOTO:小松寛之
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