野村克也の「三冠王記念品」を死蔵する京丹後市「市役所の言い分」

’90年に寄贈して以来、ホコリをかぶったまま
野村克也の「三冠王記念品」を死蔵する京丹後市「市役所の言い分」 画像1
’67年、打点と本塁打の2冠達成を記念したトロフィー。通算打点は歴代2位の1988。本塁打は同2位の657本
「京丹後市役所(京都府)の倉庫には、郷土出身の名捕手・野村克也さん(81)から寄贈された貴重な記念品が60点も放置されているんです。’65年に南海で三冠王を獲得した時のペナントや盾、『生涯一捕手』と書かれた直筆のサインボールもあります。野村さんは自分の記念品が日の目を見ず、死蔵されていると聞き『倉庫にしまわれているくらいなら知り合いに預けたい』とボヤいているそうです」
 こう明かすのは、京丹後市観光協会のスタッフだった糸井徳政氏だ。
 実際、本誌が同市役所の倉庫を訪れると、記念品の入った10箱ほどの段ボールが保管されていた。これまで展示会が数回開かれただけで、寄贈品が市民に公開されることはほとんどなかったという。
 いったい、なぜこんなことになったのか。糸井氏によると、野村氏から品物が届いたのは27年前だ。
「京丹後市の前身・旧網野町創立40周年の’90年に、地元出身の偉人から記念品を贈ってもらおうということになったんです。野村さんからの寄贈品はその目玉でした。当初は『野村克也ギャラリー(仮称)』という記念館を作り常時展示する計画もあったんですが、設立資金が足らず頓挫したようです。その後20点ほどは『アミティ丹後』という地域産業振興センターに展示されたものの、階段脇の目立たない場所にありショーケースはホコリだらけ。残り60点は倉庫に眠ったままでした。『これはアカン』と思い、私たちが中心になり大々的に展示会を開いたんです」
 展示会は京丹後市の文化会館で、’11年と’12年に2回開かれた。’12年11月の展示会では、野村氏の講演会も開催。1200人ほどの聴衆が集まったという。
「講演会後の懇親会で、当時の中山(泰(やすし))市長に言ったんです。『このまま貴重な品々を眠らせておくのはもったいない。ぜひ記念館を作ってください』と。市長も『わかりました』と答えてくれましたが、その後具体的な話はありませんでした」(同前)
 せっかくの記念品をなぜ放置しているのか。京丹後市役所に聞いた。
「京丹後市は6つの町が合併してできた市です。以前の資料がほとんど残っていないため、記念館の話に関してはわかりません。合併の際に網野町からの引き継ぎがうまくできておらず、管理部署がいまも決まっていない状態です。再び展示会を開くこともあるので、ここ(倉庫)に保管しています。今後は部署を決め、寄贈品を公開できる企画を考えます。塩漬けと言われればその通りですが……」
 一方、野村氏の事務所は本誌の取材に対し「コメントは差し控えたい」と話した。
「報道を受け不快感を示したという野村さんに、近々市が直接事情を説明すると聞いています。ようやく記念館設立の議題ものぼりそうです」(前出・糸井氏)
「どうせオレは人気ないからなぁ」とボヤく、ノムさんの声が聞こえてきそうだ。
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評論家・草柳大蔵の「生涯一書生」をもじって揮毫
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’62年本塁打王獲得時の表彰状。本塁打王は計9回獲得
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’12年11月の展示会以来、記念品は箱に入ったまま
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PHOTO:小川内孝行
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