松方弘樹「最期を看取った内縁の妻 山本万里子さんとの闘病生活」

数多くの浮き名を流した昭和の大スター逝く

松方弘樹「最期を看取った内縁の妻 山本万里子さんとの闘病生活」 画像1
’05年、山本さんとクリスマスディナーを楽しんだ際の一枚。この後、同棲先のマンションへ帰っていった

「『遠山の金さん』(’88年)や『ホテル』(’90年)に主演していたころの松方さんのギャラは、週に500万円。年収は10億円以上ありました。松方さんは、『財布にいくら入っているのかわからない』が口癖で、豪快にみんなに奢(おご)りまくっていた。気さくで男気もあったから、そりゃあモテましたよ。隠し子を合わせて子どもは6人だけど、泣かせた女性は間違いなく1000人以上です」(親交の深かった芸能レポーターの城下尊之氏)

 数々の女性と浮き名を流した昭和の大スター・松方弘樹(享年74)が、1月21日、脳リンパ腫のため都内の病院で亡くなった。

 元モデルの最初の妻とは、女優・仁科亜季子(63)との不倫が原因で’78年に離婚。「慰謝料3億円」で話題を呼んだ。仁科とは翌’79年に結婚したが、’87年に今度は歌手・千葉マリアとの間に隠し子が発覚。激怒した仁科にパイプカットさせられたことを告白した。それでも、奔放な女性遍歴は続き、『ホテル』で共演した元女優の山本万里子さん(44)と不倫関係になり、’98年に仁科と離婚した。

「以来、18年にわたって同棲生活を送り、松方さんを支えたのが山本さんでした。親しい友人たちが彼女を『奥さん』と呼ぶほど、二人は夫婦同然の関係だった」(松方の知人)

 昨年2月、脳リンパ腫が発覚して緊急入院し、3度の脳梗塞(のうこうそく)を発症。秋ごろからは意識が混濁することが多くなり、話すこともままならなくなったが、それでも山本さんが「夫」を見捨てることはなかったという。

「入院したばかりのころはまだ元気があり、奥さんに言って大好きな『焼肉弁当』を届けさせ、ばくばく食べていました。『絶対に復帰する』ともよく言っていましたね。しかし脳梗塞を起こし、身体の自由が利かなくなると、ストレスから奥さんにかなり辛くあたることも増えてきた。それでも奥さんは、『私が最期まで支えます』と、泣き言一つ漏(も)らしませんでした。元妻はおろか子どもたちにさえ一切面会を断っていたのも、『弱っている姿を見せたくない』という松方さんの希望を汲(く)んでのことだったんじゃないでしょうか」(前出・知人)

 そんな山本さんと最後まで籍を入れなかったのも、松方ならではの男気からだったようだ。

「籍を入れてしまうと、6人の子どもたちとの間で相続の問題などで揉(も)めるかもしれない、と考えたからです。その代わり、山本さんには自分がいなくなった後も困らないよう、かなりの額のおカネをわたしていた。松方さんは山本さんのことを『俺の最後のオンナ』と言っていた。籍は入れずとも、二人は紛(まぎ)れもなく夫婦だったんです」(前出・城下氏)

 松方の火葬に立ち会った親友の梅宮辰夫(78)は、山本さんについて、「彼女は偉い。女房にはこうあってほしい」と語った。波乱万丈の人生を送ってきた松方だが、最後にようやく、理想の女性と巡り会えたのかもしれない。(一部敬称略)

松方弘樹「最期を看取った内縁の妻 山本万里子さんとの闘病生活」

マグロの一本釣りは、漁師も認めるほどの腕前。’09年には325㎏の大物を釣り上げた

PHOTO:小檜山毅彦(1枚目) 陣内雅義(マグロ)



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