稀勢の里が「努力で天才に勝つ」と決意した少年時代

19年ぶりに誕生した
日本出身横綱

「オレの精神状態はステージ5だ」。稀勢の里(30)は親しい友人にこう漏らしていた。貴乃花に次ぐ速さで新入幕を果たしながら、優勝できない。重圧から就寝前に慣れない日本酒を飲んだことも。苦節15年――。最も遅いスピードで昇進した苦労人横綱の軌跡。
1歳(’87年)
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3600gで誕生。「幼児のころから身体が大きかった。合う幼稚園服がなくボタンがとめられませんでした」(母・裕美子さん)。入園直後から水泳、英会話、習字を習う
小学5年生(’97年)
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小学3年生から野球を始める。ポジションは捕手。「身体のことを考えて、スナック菓子や炭酸飲料は禁止。飲み物は牛乳と麦茶のみを与えていました」(裕美子さん)
小学6年生(’98年)
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わんぱく相撲「龍ヶ崎場所」で宣誓。小学2年生で相撲を始め、4年生の時から3年連続で同大会優勝。全国大会にも出場する。毎日のように大相撲中継を見ていた
中学3年生(’01年)
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体育祭にて(中央)。「中学2年生の時には身長180㎝、体重100㎏以上ありました。部活は野球部で4番エースです」(担任だった若林克治氏)。地元・茨城の甲子園常連校、常総学院から勧誘もあった
鳴戸部屋入門(’02年)
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「角界随一の稽古を誇る鳴戸部屋」と書かれた新聞記事を見て門を叩く。「一番厳しいところで自分を磨きたい。どうせやるなら相撲一本で生きていこうと思った」(稀勢の里)
初土俵(’02年)
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春場所で本名の「萩原」のしこ名で登場。’04年11月には18歳3ヵ月で新入幕。福井・永平寺貫首の「稀(まれ)な勢いを作れ」という言葉から「稀勢の里」と改名
89場所目で初優勝!(’17年)
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今場所千秋楽後の祝賀会。「来場所は、いま以上に強くなって皆さんに笑顔を見せたい」と涙を浮かべた。右は田子ノ浦親方(元・隆の鶴)、左は内儀(おかみ)の琴美さん

寄せ書きの決意を土俵で体現
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中学卒業時の寄せ書き。師匠となった故・鳴戸親方から受けた言葉でもある。親方に「心臓から汗をかけ。悩むヒマがあったら稽古しろ」と言われ、初土俵から一日しか休まず15年間相撲をとり続けた
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校内で身長、体重ともにNo.1
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中学の卒業文集。センスあるイラストにも注目。「これからが勝負。いま以上に自分を律し立派な力士になってほしい」(父・貞彦氏)
PHOTO:稀勢の里資料館提供(少年時代) 蓮尾真司 
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