マレーシアで毒殺 金正男 「弟 金正恩の暗殺指令に怯えた死の逃避行」

過去にもハンガリー、平壌で襲撃され、「助命嘆願書」を出していた
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'07年2月、北京空港に降り立つ正男氏。正日氏の第2夫人・成ヘ琳(ソンヘリン)氏を母に持ち、第4夫人・高英姫(コヨンヒ)の子の正恩氏とは異母兄弟。別々の場所で育てられ、一度も会ったことがない
「金正男(キムジョンナム)氏は、物腰が柔らかく、紳士的な人でした。『日本には5回訪れている』と話し、『新宿の焼き肉店や新橋のおでん屋が懐かしい。スイスの温泉にも行ったけど熱海にはかなわないですね』と笑っていた。また『高倉健や真田広之の映画が好きです』とも語っていました。酒も強く食事に同席すると、一杯5000円もするウイスキーを何杯も飲んでいた」(東京新聞編集委員・五味洋治氏)
 日本の歓楽街と文化が大好きだった北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記の長男・金正男氏(45)が2月13日、マレーシアで殺害された。正男氏は朝8時過ぎ、2人組の女性から「マッサージをさせてくれませんか」と声をかけられた。振り返った瞬間、女性は正男氏の腕に毒針を刺しタクシーで逃走したという。
「気分が悪い……。助けて……」
 正男氏は、近くの病院へ搬送中に死亡。韓国政府は「金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長(34)の指示を受けた工作員により殺された」と発表した。

「体制批判」で怒りを買った
「場所、手段を選ばず正男を除去せよ」
 正恩氏は父親から溺愛されていた兄を、以前から亡き者にしようと指令を出していた。ハンガリーに滞在していた’08年、正男氏は暴漢に襲われ頭の骨を折る重傷。翌年4月の深夜には、平壌(ピョンヤン)の招待所(高官用の宿泊施設)にいるところを「北朝鮮のゲシュタポ」と言われる国家安全保衛部に襲撃され九死に一生を得ている。こうした動きに対し、正男氏は正恩氏へ自身と家族の助命嘆願書まで送っている。
 正男氏を7時間インタビューし150通のメールのやりとりをした、前出の五味氏が語る。
「正男氏は『正常な思考を持っている人間なら三代世襲に追従することはできない』と話していました。改革開放も主張し、中国式の経済政策を実現しようとしていたんです。『強盛大国』というスローガンで軍事強化を目指す正恩氏にとっては、自分の地位を脅かす反乱分子と受け止められたのでしょう」
『中央日報』で20年以上北朝鮮を担当している李永鐘(イヨンジュン)氏は、'11年に刊行された著書の中で不気味な予言をしている。
〈(正男氏は)外国を転々としながら暮らしていくことになるだろう。しかも常に"暗殺者"の影に怯えながら……〉
 そんな正男氏の後ろ盾となっていたのは、叔父の張成沢(チャンソンテク)氏だった。しかし、その張氏が'13年末に処刑されると、正男氏は表舞台から姿を消す。
「危害が及ぶのを恐れ、父親の資金で購入した邸宅のあるマカオや伯母親子の住むフランス、張氏の甥が大使を務めていたマレーシアなどを転々としていました。ただ批判は止めなかった。知人に『後継者にならないのか』と聞かれ、『滅亡する国のトップにどうしてならなければいけないのか』と答えています。正男氏の発言は正恩氏の耳にも入る。正恩氏はミサイル発射実験などで関係の悪化する中国や国内の批判勢力と組んで、正男氏がクーデターを起こすのではないかと疑心暗鬼になっていたようです」(「コリア・レポート」編集長の辺真一(ピョンジンイル)氏)
 正男氏の素顔は東京・赤坂の高級韓国クラブに頻繁に通い、マカオでグルメやカジノを楽しむなど、クーデターとはほど遠いものだったが、正恩氏は「危険分子」としてつけ狙っていた。
 空港という公共の場であれば安全、という思い込みがあったのか――正男氏の逃避行は、最悪の結末を迎えた。
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監視カメラに映った工作員らしき女性。現地警察はベトナム籍と発表。実行犯は6人とも
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マカオのコロアネ島にある正男氏の2億円豪邸。「竹湾豪園」と呼ばれる高級住宅群のなかの一棟だ
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正男氏がカジノ目当てに通っていたマカオのリスボアホテル。経営に携わっていたという報道も
PHOTO:読売新聞社 Yonhap/アフロ
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