世界20ヵ国でプレー「流浪のサッカー選手」という生き方

伊藤壇、41歳。
Jリーグを「2年でクビ」も、こんな人生の楽しみ方もある

取材・文/栗原正夫(スポーツジャーナリスト)
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ブータンの民族衣装を着て。シンガポール、オーストラリア、ベトナム、香港、タイ、マレーシア、ブルネイ、モルディブ、マカオ、インド、ミャンマー、ネパール、カンボジア、フィリピン、モンゴル、ラオス、ブータン、スリランカと渡り、今年から東ティモール
「30度を超える暑さの中、移動はエアコンなしのマイクロバスにぎゅうぎゅう詰め。試合前日は一軒家のリビングにマットレスを敷き詰めて、ザコ寝でした。しかも、起きたらその場で食事をとってミーティングをするんです。開幕寸前まで開幕戦以降の試合日程が出なかったり……。東ティモールでは、日本では考えられないことが普通に起こります」
 いまや、日本のサッカー選手が海外でプレーすることは珍しくない。アジアではタイやシンガポールを筆頭に100人を超える選手がプレーしていると言われている。そうした流れに先駆けて、20もの国と地域のトップリーグでプレーしてきた異色の選手が伊藤壇(だん)(41)だ。伊藤は’98年にブランメル仙台(現ベガルタ仙台)入り。だが2年で戦力外になると、’01年にシンガポールのウッドランド・ウェリントンFCに移籍。その後は「一年1ヵ国」をテーマにアジア諸国を中心にプレーした。
 今年2月からは東ティモールのポンタレステでプレーしている。
「僕はおカネやリーグのレベルではなく、どこに住みたいかでチームを探してきました。東ティモールは21世紀最初の独立国でアジアで最も新しい国。情報がないところに興味を持ったんです。今回ばかりは『地球の歩き方』も僕を助けられませんでした」
 伊藤はそう笑い飛ばしたが、アジアには独特の気候や風土、文化を持つ国もある。そう水を向けると「一番ツラかったのは……ネパールですね」と苦笑いした。
「とにかく寒かった。標高が高く、しかも一日13時間も計画停電がある。ホテルの部屋にいるのにニット帽を被(かぶ)ってネックウォーマーしてダウンを着て手袋して、外出する格好で寝てました。もちろん、シャワーは水です。ピッチは原っぱで、試合開始直前までゴールの前で牛が寝てたこともあった。一番待遇が良かったのはブルネイ。僕の所属していたチームは王子がオーナーで、4ベッドルームの一軒家とポルシェが支給されました。給料は週払い。正直、Jリーグにいたころよりも良かった。他の国はだいたい月払い。受け取りはキャッシュや小切手、銀行振り込みなどバラバラですね。ベトナムにいた時は現金支給。インフレの影響でレートが100円で1万ドンくらいだったから、とにかく札束がかさんだ。帰国する時にスーツケースにパンパンに詰めたドンを両替所に持って行って換金するんですが、銀行強盗みたいでしたね。しかも『一部換金できない』と言われて。理由を聞いたら『偽札が混じっている』って」
 給料の支払いが遅れ、チーム全員で練習をボイコットしたこともあった。インドなど南アジアでは毎食カレーが出た。フィリピンでは孵化(ふか)する直前のクチバシがついたアヒルのタマゴを食べさせられて嘔吐(おうと)した。体当たりで挑(いど)んだ17年。20ヵ国にも及んだクレイジージャーニーは今季で終わらせる予定だ。
「区切りがいいですし、これまで行った国に指導者として戻れたら面白いなと思ったんです。ここまで続けられたのは、どんなに理不尽なことがあってもポジティブに楽しめたから。ギネス記録は16ヵ国だそうです。はじめは日本代表が目標でしたが、いろんな国でプレーすることで日本を代表する選手になることができた。夢破れても、諦めちゃいけない。別の道を使ってまた目指せばいいんです」
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香港・傑志時代。親善試合でACミランやニューカッスルと戦ったことも
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